中西哲生さんに聞く世界で活躍する選手を導くコーチング【第2回】育成年代におけるいい指導者の条件

多くのトップアスリートたちにパーソナルトレーナーとして携わる中西哲生。その指導の共通項は、選手による「目標の言語化」だった。ではその言語化は、どの年代から取り組むのがよいのだろうか? また、指導者として選手と関わるなかで見えてきた、よい指導者の条件とは――。 前回に続き、ご本人に忌憚ないご意見をうかがった。

“ポジティブが最優先”である理由

中西 現在、大阪、京都、滋賀の3か所で、僕の指導メソッドに沿ったサッカースクールを開校しています。そこでは、何年もかけて僕のメソッドを学んだ指導者たちが、小中学生年代の子供たちを指導しています。

中西 いちばん重要なのは、「怒らないこと」ですね。そもそも、怒られて嬉しい人間はいないじゃないですか。もっと言えば、選手たちにダメだったことを説明する必要はない。逆に、うまくいったとき選手に言語化を促している指導者は、いい指導者だなと感じます。僕のスクールでも、「できなかったこと」ではなく「うまくいったこと」に焦点をあて、選手たちに「なぜできたか」を言語化させるという点を重視しています。

スポーツ指導者との出会いで感銘を受けたのは、女子ゴルフ宮里藍選手のコーチであるピア・ニールソンとリン・マリオットでした。彼女たちが提唱している『ビジョン54』という論理を知り、自分が漠然と「こうしたほうがよい」と考えていたことを、論理的に理解できた。そこには

と書かれています1)。だったら、ダメだったことを指摘して選手にネガティブな記憶を定着させたくないな、と考えるようになりました。

 一方、ポジティブな記憶は3倍定着しづらいと捉えると、その体験を選手たち自らに何度も言語化させ会話することで、「成功体験の論理」を選手の体に刷り込ませたい。すばらしいシュートが決まったのであれば、なぜ決まったのかを徹底的に言語化してもらう。また、その際には選手の目標から逆算して、「目標に到達しているか否か」の観点で判断する。W杯の決勝トーナメントでのゴールを目指すのであれば、今日のゴールはテア・シュテーゲン(ドイツ代表)やクルトワ(ベルギー代表)が相手でも決まるゴールでしたかと。

実際に彼ら対峙して初めて、今までなんとなく決まっていたゴールもぜんぜん決まらないとわかる。それじゃマズイわけですよね。だから、日々の練習や自分が置かれている状況のなかで、まだ見ぬW杯の決勝トーナメントという場所で相手を凌駕するプレーやシュートを決めることを、常にイメージしながら取り組めているかがすごく重要です。

子どもたちの年代ではなおさら、いいイメージを定着させることに重きを置くべきです。年齢を重ねカテゴリーが上がるごとに、選手はどんどんミスが怖くなります。結果的に、自分のできることが徐々に限られてきてしまうケースが非常に多い。大きくなってから子どもの頃の感覚のまま、何度ミスしてもチャレンジすることってやっぱり難しいんですよね。だけど子どもの頃であれば、ミスを恐れず、ミスしてもまたトライできる環境を作りやすい。

僕自身、プロ3年目までは若い頃にできていたことができなくなってきているという感覚がありました。「ミスしたくない」「評価を下げたくない」ということが、プレーに影響していたのかなと思います。それが4年目からベンゲル監督になって、自分が子どもの頃に持っていた感覚を取り戻せた。なぜかというと、ミスを怖がらなくて済む「ミスしてもいい設定」のトレーニングをしてくれたんです。彼のトレーニングでなければ、その感覚は取り戻せなかったでしょう。トレーニングの設定を変えることで、目の前の課題克服だけではなく過去の感覚を呼び起こすことも可能だと、ベンゲル監督は証明してくれました。

中西 「なぜダメだったか」は、もう結果が出ていることに対しての理由付けなので簡単なんですよね。「失敗」という結果があったうえで、それに言及しているだけなので。

 自分が失敗したことは、選手自身がいちばんよく理解しています。そこに追い打ちをかけるように、ネガティブな論理を本人の頭に刷り込んでしまうことはやめたほうがよいと僕は思っています。また、ネガティブなことを言語化しても、それは「もうやらないこと」ですよね。もうやらないことに時間を割く必要はありません。なので、もう一度再現したいことだけを言語化し、それをやり続けることを優先しています。

 もちろん、人間性の部分の指導ではまた違う論理があると思います。ただ技術的な部分に関しては、「トライできる環境づくり」と「うまくいったことの言語化」の2点がポイントです。子どもの周りにいる大人たちが、うまくいった理由を選手から引き出せるようになれば、選手たちはどんどん前向きにトライするようになるし、「うまくいったこと」の再現性も上がる。再現性は、論理からしか生まれません。だから子どもの頃から、うまくいったことを言語化する習慣をつけおく。そして、10回のうち1回しかできなかったことを、10回のうち10回できるようにする。パーソナルコーチをスタートした時から、それを意識して指導に取り組んでいます。

中西 具体的に何があったかを尋ねることが、すごく大切です。例えば「今日なんで試合に勝ったの?」と尋ねたとき、子どもの回答が「相手が弱かったから」だったとしましょう。じゃあ「相手が弱いと何ができるの?」と尋ねてみる。逆に「今日なんで負けたの?」の答えが「相手が強かったから」だった場合は「相手のどこがすごかった?」と。

「ドリブルが上手い子がいたから」「シュートが上手い子がいて、風が強くて相手が風上のときに決められた」とか、子どもなりに考える理由はいろいろあるじゃないですか。そうやって周りの大人たちが、子どもたちから具体的な言葉を引き出す質問ができるかがポイントだと思います。

例えば右利きの子供が「点が取れた」という成功体験があった場合。

指導者「シュートの瞬間に何を考えてた?」

選手「いや、無意識ですね」

指導者「右か左のどちらかに打つことは狙っていた?」

選手「左サイドに打とうと思っていました」

指導者「アウト回転かイン回転かは意識してたの?」

選手「アウト回転です。イン回転だとGKの手の近く通るから…」

ここまできたら、「じゃあ無意識じゃなかったよね」と。

本人は無意識と言うけど、実際は「左サイドを狙ってGKの近くを通らないようアウト回転のボールを蹴った」と。これって、トレーニングで自分の体に刷り込まれたものを、そのまま試合中に再現しただけですよね。普段トレーニングで言語化しているものが、無意識的に試合で発揮できた。僕はそれを、「スキル」と呼んでいます。考えないとできないものは技術という意味で「テクニック」。

試合で出たスキルを本人に再び細かく言語化させて、「だから決まったんだね」と試合後に再び刷り込む。すると、「そのスキルが発揮できたらシュートが決まるんだ」と本人も確信が持てる。そこに関して、僕は言語化を諦めません。「無意識」という言葉を使われたときに言語化を諦めないかどうかが、「テクニック」を「スキル」まで昇華できるかの分かれ道だと考えています。

指導者が具体的な質問で導いてあげると、「自分がうまくいった理由はこれだ」と、本人の無意識に中身ができる。「今日は調子がよかった」と言うときには、「なんで調子がよかったの?」と必ず尋ねる。昨晩寝たのは早かったのか遅かったのか。寝る前にお風呂に入ったのか。夜に何を食べたのか。何時に起きたのか。試合前には何を食べたのか。24時間前までプレーバックさせて、何をしてその試合に臨んだか話してもらう。

指導者「このシュートは慌てて打ったの?」

選手「いや、慌ててなかったです」

指導者「力は抜けていたよね?」

選手「ぜんぜん力まなかったですね」

指導者「力みと焦りはちゃんと排除されていたんだ」

僕はよくこんな感じで、メールやDMなどで選手とやり取りしています。今の子たちはSNS世代で、「書くこと」には慣れているんですよね。僕もSNSを始めて気づきましたが、実際に文字に起こして自分で書くことが、実はいちばん言語化能力が上がるんじゃないかなと。うまくいったプレーの何がよかったのか、これを文章に書くときに、選手が具体的に理由を説明しやすいような質問を、指導者は投げかけてあげなければいけません。

子どもが発する単語としての「無意識」が、実は「無意識ではない」ことを、周りにいる大人が理解しておくこと。「無意識なんだ」と鵜呑みせず、具体的に2択で質問するなど、細かい部分までどんどん言語化させていく。本当は狙って打ったのに「狙ってない無意識です」と言う。でも前述した例のように、コースくらいは自分で説明できるかもしれない。

説明できたということはつまり、実際には狙っているわけじゃないですか。そうやって根気強く質問を重ねて、潜在的な意識を徐々に顕在化していく。そして最終的には、こういう理由で決まったんだねと、本人自身に口にしてもらう。いくら本人が無意識と言っても「こっちは諦めていないぞ」「無意識の中身を見つけてやる」。そういう心構えで、子どもたちに寄り添ってあげてもらえたらと思います。

(了)

次回は「ジュニア年代で取り組んだほうがいいこと」「海外経験の必要性」について、引き続きお話を伺います!ご期待ください!

参考文献

  1. ピア・ニールソン&リン・マリオット(著):「ゴルフ『ビジョン54』の哲学 楽しみながら上達する22章」、ランダムハウス講談社、2006

中西 哲生(なかにし てつお)

1969年、愛知県生まれ。 同志社大学を経て、1992年に名古屋グランパスエイトへ入団。 1995年シーズンにはアーセン・ベンゲル監督の下で天皇杯優勝。 1997年、川崎フロンターレへ移籍(当時JFL)。1999年には主将としてJ2初優勝、 J1昇格に重要な役割を果たす。 2000年末をもって現役を引退。引退後はスポーツジャーナリストとして活動し、TBS「サンデーモーニング」、テレビ朝日「Get Sports」などのテレビ番組にコメンテーターとして出演。その傍ら、パーソナルコーチとして長友佑都、久保建英、中井卓大、永里優季ら現役プロサッカー選手を指導。2023年4月からは筑波大学蹴球部テクニカルアドバイザーに就任し、6年ぶりの関東大学サッカーリーグ1部優勝に貢献した。X(旧Twitter):@tetsuo14

(記事構成=多淵 大樹)